2014年12月2日 読売新聞
受験勉強の「勉強」そのものは、解いて達成感を味わったり、解けなくてくやしくて「今度は!」と挑戦したりすることの繰り返しです。
ただ、「受験」の2文字が頭にくっついているからには、中学校を受験して合格か不合格かになる二者択一であり、いずれか一方の運命を受け入れることになります。この点がとてもシビアです。
ただ、シビアといっても仮に不合格だった学校に合格できていたらどうなっていたか、ということは誰にもわかりません。隣の芝生は青い、ということわざもあるように、かえってワンランク上の学校で苦しむことだってあります。
つまり、シビアだというより、二つに一つなのですから、そうそう予想が難しいわけではないのです。あらかじめ不合格だった場合を考えておくことは当然のことでしょう。
甲子園常勝校の野球部の名監督が残した「勝って泣け」という名言があります。普通、敗北して悔しくて泣くのですが、その多くは負けるべくして負けている。だから、悔しければ負けないようにトレーニングを積んで、やるだけのことをやる。その結果勝つことができれば、その時に初めて泣いてよい、という教えです。
大変厳しい言葉ですが、先日ある方とお話をしていた時に、この言葉を口にされたので、久々に思いだしました。まさにその言葉を発するにふさわしい、自分に厳しい方でした。
不合格は、この敗北と同じです。つまり「勝って泣け」を受験界に置き直せば「合格して泣け」ということになります。
自分に厳しく…小さなミスが埋まらない差に
もっとも既に予想がつくように、この言葉は負けて泣いている人に向けたものであるようでいて、実際の使い方はそうではありません。努力して試験や試合に臨もうとしている人に対して、負けて泣くようなことにならないよう、自分に厳しくあれ、と教えているのだと思います。
では、その自分への厳しさとはどういうことでしょうか。
例えば、計算ミスをする、せいぜい1点か2点の失点だからたいしたことはない。あるいは何と言うこともないよくでる問題なのに解けなかった。易しい問題でないにせよ、皆が解ける問題です。そこを間違った。でもそう難しくないから大丈夫。――といったような、小さな不出来をおろそかにする姿勢こそ自分に甘い、と戒めているのです。計算ミスやよく出る問題は、正解して当たり前、絶対にミスは許されないのです。そこで失点すれば、それは埋まらない差になってしまいます。
「ここまでやればよい」範囲…ベテラン指導者に聞こう
受験で学ぶことは「できることを、できるようにすることだ」と言ってよいのです。「できないことを、できるように挑戦すること」も学びますが、これは6年生の今の時点では本当はほとんどないはずです。習ったけどできない、という部分を少なくしていくことが努力の方向です。
その際「ここまでできればよい」という範囲があれば、ずいぶん気分が明るくなり、負担感は大幅に減るはずです。ですから入試を控えた今は「ここまでやれば」ということをはっきりさせて、その中でできることを確実にできるようにする、それが最も大切なことです。
できることをできるようにするのですから全く心配はいりませんし、失敗する恐れは確実に少なくすることができます。ただ「ここまでやればよい」という範囲の設定は、なるべく、よくわかっているベテランの指導者に聞いて、その範囲を狭くできるに越したことはありません。そこは受験生自身ができない部分です。悩まず、頼むべきは頼みましょう。
受験は、受験する人に平等に与えられた進路の選択です。と同時に、「天は自らを助くるものを助く」ということを知る機会でもあるのです。